2009/11/05
大学卒業時には家業を継ぐ意識は半々でしたね。まずは自分の力で食っていけるようになりたかったし、機械屋として一つのことに縛られるんじゃなく、いろんなことをやりたかったし。大きな会社ともお付き合いしたかった。それは総合商社やなあって思って、伊藤忠商事に就職したんです。
8年間の商社マン生活は繊維機械担当で、うまく変わった会社と、繊維の衰退とともにつぶれちゃった会社を見れたんは良かった。上り調子の産業で働くことばかりが糧になるわけではないと。
経営者の振る舞いも勉強になりましたね。人となりが社風に表れる。東レの前田勝之助さんが社長やられてたころとか、一つの理想。トップがあるべきことをちゃんと言い、下もそれがきちんと腹に落ちて動いていた。
工作機械業界は(外的要因に大きく左右される)“アウトドアスポーツ”。風がない日はいくら帆を上げてもヨットは動きません。ただ天気の回復を待つと、現状はそういう感覚です。そんな時にいいスポーツマンは、腕立て伏せして摂生しますよね。悪いやつは不摂生で、ヨットを磨いておかないからフジツボが付いちゃって速く走れないとか。
マメじゃない人は駄目やね、スポーツも経営も。今は「しっかり納期守って、品質守って」ができる体制にする、オフのトレーニング時期。だから下手なことするよりも正々堂々と赤字を出していいと思ってます。
伊藤忠の当時の上司が結婚式のスピーチで必ず言ってたのが「VSOP」。20代がバイタリティーでがむしゃらに、30代がスペシャリティー、自分の専門性を身に付ける。40代がオリジナリティー、それ(専門性)を昇華させて、50代はパーソナリティー、いい人と言われるようになれと。順番が大事で、20代でパーソナリティーは「ええやっちゃ」で終わるし、スペシャリティーでは専門バカで終わる。50代でやたらバイタリティーがあってもね、なかなか迷惑なオジサンになるわけで。
でもあんまり経営者はオリジナリティーにこだわったら駄目だと思うんですね。2代目、3代目の人がおやじと違って何とかしようとすると、たいがい失敗しちゃう。先輩や周りに学ぶところがあって、「自分なり」といったら1%から5%ぐらいやないかな。
【もり・まさひこ】 京都大工学部卒、85年伊藤忠商事入社。父の森幸男前社長が体調を崩したのを機に、93年に森精機製作所入社。常務、専務を経て99年から社長。04年に本社を奈良県大和郡山市から名古屋市へと移転するなど積極的な経営で業容を広げている。01年から日本工作機械工業会副会長。03年、東京大大学院で工学博士号取得。大和郡山市出身。48歳。
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