2009/07/23
例えば待ち合わせで5分の遅刻だったら、車のスピードを上げて間に合うようにするけど、1時間とか遅れて根本的に間に合わんと思うと、ゼロから行き方を考えるでしょう。追い詰められた方が変化しやすい。
2001年にBSE(牛海綿状脳症)の騒ぎがあって、売り上げが一気に6割に落ちまして。その年の9月から12月まで、毎月ずっと1億円以上の赤字が続きました。
その時考えたのは、お客さんが求めとるものから遊離してたんじゃないかなって。もう一度、自分たちが得意なこと、お客さんから高い評価が受けられることをやろうと。
サラダバーとステーキの炭焼き。やめてたんですよ。安い価格にして、たくさん店を出すために。それをもう一回戻そうと。それにプラス、ご飯をかまどで炊こうと。家庭ではできないでしょう。めんどくさいことや大変なことを取り入れて、みんなが大変な中で頑張ってもらって。一気に赤字から(黒字に)戻った。
その後ちょっとして(04年くらいに)給料を上げることができた。「あの時つぶれると思った人、手を挙げて」って社員に聞いたら、半分が手を挙げた。ということは内心、3分の2がつぶれると思っていたと思うんですよ。だけどついてきてくれた。全員をもっとハッピーにしようと思いました。
(今の不況も)ピンチだけどチャンス。経営体質を変えたろうと思って。調子がいい時に細かいこと言っとったて、みんな聞いてくれんでしょう。売り上げが悪いと「聞かなあかんかしら」って思ってくれるじゃない。
BSEの時は一気に悪くなったもんでワンマンでやりました。土俵際で一本足で逆転したようなもんで。今回は、全員で経営する会社にして、土俵の真ん中でがっちり取り組みたい。
(社員には)「あんたの幸せはあんたがつくらなあかんで」って言ってます。自分で借金して、店作って、売れんかったら夜寝れんでしょう。それぐらい悩んで、どうしたらお客が来るかと(社員一人一人が)考える会社にしないと。
大きな不況はまたいずれ来ますから。今度はおみゃーさんら、あんたらで乗り切りゃあよ、自分はおらんで、てなもんで。
【たけいち・やすひろ】62年、愛知商業高校商業科卒。喫茶店経営を経て78年、名古屋市北区に「ステーキハウスブロンコ」を開店。83年に株式会社「ブロンコ」を設立し、社長に就く。95年に「ブロンコビリー」に商号変更。中部地方を中心に多店舗展開を進め、07年ジャスダック上場。08年関東へ進出。7月現在の店舗数は60店。65歳。名古屋市北区出身。
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