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やってみました 記者たちの職業体験ルポ 三河木綿

2009/05/20

伝統の技に職人魂知る

 中学時代、家庭科は大の不得意科目だった。ボタン付けはもちろん、糸の玉留めさえままならない不器用な男子生徒に、先生は「グローブのような大きな手では難しいよね」と同情してくれた。
 長く抱いた“繊維分野”への苦手意識を克服しようと、挑んだのは古くから受け継がれてきた三河木綿の手仕事。昔からの伝統の技を今も引き継ぐ「手織り三河木綿保存会」の代表高木宏子さん(70)が岡崎市明大寺町で開く工房を訪れた。

 中に入ると、昔ながらの機織り機がずらり。が、それを使う前にベテランの職人でも一週間はかかるという長い準備工程がある。手始めは綿の種抜き。種取りろくろという道具に綿の実を入れてハンドルを回すと、難なく種が外れた。綿はふわふわの状態に。「意外に簡単だな」。そう思ったのもつかの間、実際は甘くなかった。

 待ち受けていたのは糸車を使って綿をよって糸にする「糸つむぎ」。お手本通りにしたつもりだったが、綿はすぐに切れてしまう。高木さんに手を取ってもらい、なんとかできた糸は一メートル足らず。着物一着分の反物を織るには一万メートルの糸が必要と聞き、恐れ入った。

 挫折寸前になったところで「そろそろやってみる?」と、機織り機に導かれた。縦糸の間に横糸を通し、木の器具で整える。動作はぎこちないが「カタン、カタン」という音が心地良い。昔話「鶴の恩返し」の鶴になったような気分に浸りながら縦十センチのあい色の素朴な生地を仕上げ、達成感が沸いた。

 「気の遠くなる仕事。大切なのは、家庭科の能力よりも、美しいものを織りたいという熱意と根気。あなた、楽しんでいるように見えましたよ。それが良かった」。高木さんからいただいた言葉を、自分の今後の仕事にも生かしていけたら、そんな思いが芽生えた。(相坂穣)

 【メモ】三河は、8世紀末に三河湾に漂着した外国人が綿をもたらし、日本の綿栽培の発祥地といわれる。三河木綿も15世紀ごろから盛んに織られるようになった。保存会の会員13人は主婦が中心だが、男性もいる。3年で一通りの技術を習得できるが、半年かけて織った1反の布の売値が、わずか数十万円ということも。体験の問い合わせは同会=0564(51)2326=へ。

三河木綿の手仕事の伝統を守ろうと機織りに励む高木宏子さん=岡崎市明大寺町で
三河木綿の手仕事の伝統を守ろうと機織りに励む高木宏子さん=岡崎市明大寺町で