2009/05/03
3日は憲法記念日。敗戦後の廃虚の中、先人たちは「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」(25条)と、生存権の高い志を掲げた。それから62年。不況の直撃を受け「派遣切り」にあった名古屋市近郊の男性(38)は「憲法か…。おれたちには遠い存在だね」とつぶやいた。
男性は妻(36)と生後8カ月の長男の3人暮らし。派遣労働者として、愛知県三河地方の自動車関連企業の工場に勤めていたが、昨年末に派遣切りに。一家で寮を出た後、アパートで暮らし、失業保険などで食いつなぐ。
秋田県で建設関係の職人をしていたが、病気で体調が優れない妻のそばで働ける職場を求めて3年ほど前、愛知県に。ライトの組み立ては、立ち仕事で1日12時間働くと足裏がパンパンに腫れた。出産費用を稼ぐため、妻も妊娠8カ月まで同じ工場で作業した。男性は休憩時間に休まず自分のノルマを早く終わらせ、妻を手伝った。
時給1300円は魅力だったが、寮の家賃を払い、妻の実家に仕送りをするといくらも残らなかった。長男誕生の喜びから3カ月。派遣会社から「来月から仕事はない」と言われ、ぼうぜんとした。
「おれたちは、使い捨ての消耗品じゃない。派遣は二度とやりたくない」。今は建設業で独立する道を探す。妻は「まじめに働いても生活保護を受給するより収入は少なかった。憲法の考え方はいいけれど、社会に生かされていない」と感じる。
愛知県豊橋市の男性(37)も今年1月、派遣切りにあった一人だ。別の自動車関連工場で1年半、部品加工を担当。長い1日が終わると握力がなくなり、クタクタに疲れて以前より20キロ以上やせた。
失業保険でやりくりして暮らし、同じ境遇の人の相談に乗ることもある。努力しても派遣は会社から評価されない存在だと思う。「生存権がないがしろにされる状況が横行している。憲法を学び直してみたい」と話す。
職や住居を失った人らを支援する「東海生活保護利用支援ネットワーク」副代表で、司法書士の水谷英二さんは「生活保護の母子加算の廃止など、国自体が国民生活の最低ラインを切り下げようとしている。憲法の理念からみると、現実の社会は後退している」と警鐘を鳴らしている。
転職・求人情報検索(名古屋市・愛知県・岐阜県・三重県)はトップから