2009/04/09
『仕事も収入も自信も失った』
景気の底が見えぬまま、失業者が増え、労働条件も悪化している。収入や住居をなくし離散に追い込まれる家族も。一人親世帯の暮らしも厳しさを増し、過重業務や長時間労働にあえぐ労働者も多い。「雇用の危機」に直面したとき、家族はどう支え合えばいいのか。(服部利崇)
「親失格だね。結婚式で何もしてあげられない」
「式に来てくれるだけでいいよ。仕事を早く見つけて、子どもができた時にでも手伝って」
結婚が破談にならないか心配する父一郎さん(51)と母恵子さん(49)を、一人娘の品子さん(22)=仮名、東京都=は「大丈夫だよ」となぐさめた。
一家は日系ブラジル人家庭。品子さんが五月に挙式することが決まった昨年十二月、両親が同時に職を失った。十年間勤めた都内の機械器具部品工場から、臨時社員契約を延長しないと告げられたのだ。多い月は二人で計四十万円以上あった手取りは突然ゼロに。
なくしたのは収入だけではない。「調理補助などの仕事を母に紹介したが、失業のショックで気後れして面接に受からない。母は自信も失った」と品子さん。
一郎さんは一九九〇年に来日し、品子さんを連れた恵子さんを翌年に呼び寄せ、夫婦で製造業で働いてきた。恵子さんは「流れ作業の機械の速度を突然上げられたり、顧客からのクレームを外国人のせいにされたり嫌がらせも受けた。娘のために耐えて働いてきたのに」と悔しがる。
ギリギリの生活に多額の借金がのしかかる。五年前、一郎さんが病気になって半年間働けなくなり、カードローンで生活費を補てんしたのが苦難の始まり。そのころから工場の減産で残業が減り、返済に回せるお金はなくなった。借金は今、五百万円を超えている。
失業後も、交友関係が狭く、日本語の読み書きが苦手な二人の仕事探しは難航。一郎さんは仕事を見つけたが、深夜業務で慣れない肉体労働。手取りは十四万円で生きていくのが精いっぱいだ。
社員寮に入った一郎さんが帰宅できるのは週末だけ。品子さんも独立しており、家族はバラバラ。恵子さんは品子さんに一日五回も電話をかけてくる。「夫婦一緒が当たり前のブラジル人にとって、離ればなれの生活はつらい。母はもう、いっぱいいっぱいです」
厚生労働省の発表によると、企業などに雇われて働く外国人労働者は昨年十月末時点で約四十八万六千人。うち三人に一人が派遣・請負労働者。産業別雇用状況では、製造業が約十九万二千人で四割を占める。製造業の場合、非正規労働者の賃金は正規労働者の六割に抑えられ、生活に苦しむ外国人労働者は多い。
◇
「人生、いいこともあれば、悪いこともある。あなたもがんばって」
二月末、失業したインド国籍の夫グラモさん(35)に日本人の妻桜さん(33)=仮名=は、こう告げ、生後半年の娘と千葉県の姉夫婦宅に移り住んだ。アパートに住めなくなり、乳飲み子の健康を最優先した選択。グラモさんは「義姉夫婦に迷惑をかけたくない」と都内の知人宅に身を寄せ、家族は離ればなれになった。
都内のトラック部品製造工場で働いていたグラモさんは、アパートの賃貸契約更新直前の二月中旬、派遣切りに遭った。月平均三十万円あった給与は昨年十月から半減。蓄えもなく、更新に必要な十六万円を工面できなかった。
グラモさんの仕事は重い部品を分刻みの工程で運ぶ重労働。残業も日常的で土日出番も少なくない。日本人が敬遠するきつい仕事を選んだのは、インドの家族に仕送りするためだった。
激務のしわ寄せは家族にも行く。二〇〇七年五月、桜さんは三度目の流産をした。病院に運ばれる前の桜さんから「おなかが痛い」と助けを求める電話があったが、グラモさんは駆けつけられなかった。「仕事が忙しくて帰れず、無理させてしまった」。あの日を思い出すと、今も涙があふれ出てくる。
昨年待望の娘が生まれたが、半年で家族は離ればなれに。電車代もばかにならず、家族が会えるのは、数週間に一度だけだ。
転職・求人情報検索(名古屋市・愛知県・岐阜県・三重県)はトップから