2009/04/08
鋼つかむのも難しい
「カンカン」。真っ赤になった鋼をハンマーで打ち付けると、金属音とともに火の粉が周りに飛び散った。男らしい魅力を求めて、鍛冶職人に一日弟子入りした。
体験先は、豊田市足助町の「広瀬重光刃物店」。江戸時代から百九十年近く続き、かつては日本刀も生産していた老舗。包丁やナイフなどを二十年作り続ける六代目、広瀬明史さん(57)に弟子入りした。
商品と同じ、全鋼製の包丁作りを体験。炉で熱した鋼を、電力で大づちサイズの金属を動かすベルトハンマーと、手持ちのハンマーで延ばす。必要な部分だけを熱してリズミカルにたたく広瀬さんは、一時間未満で縦十五センチ横五センチの鋼を、包丁の柄や刃となる細長い三角形のついた金属に変えた。
お手本の後、意気込んで、炉の前に立つと、飛び散った火の粉がシャツを焦がす。めげずに、千度近い塊を取り出し、右手のハンマーで打ち付けると、左手のはしでつかんでいた鋼がずれてしまった。広瀬さんに「両手に力入れて」と注意されるが、何度やっても左手に力が入らない。「難しい」とつぶやくと、「ペンより重いものを持ったことある?」とぼやかれた。
次は成形作業。巨大なやすり石のついた機械にナイフをあてて、形を整え、刃を作る。機械は、やすりに触れると指が削れ、扱いを誤れば刃物をあさっての方向に飛ばす「凶器」に変える。及び腰で臨むと、刃とやすりの接触面がわからず、思うように削れなかった。
広瀬さんの大幅な手直しを経て完成した包丁は、刃がどんどん削られ、商品より一回り小さくなった。「三十点」という厳しい評価の後、「誰も最初はできない。ハンマーで打つとき、鋼がずれても、飛んでいかなかっただけ素質があるかも」と救われた。
刃物による犯罪が続発し、百円ショップでナイフが買えるなど取り巻く環境は厳しい。「問題は使う人。鋼を打ち、強くする技術は広く知ってもらい、後世に伝える必要がある」と話す広瀬さんの表情は真剣だった。(池田宏之)
【メモ】全鋼製の刃物は研げば繰り返し使用でき、数十年使われ続けるものも。店では現在、弟子は募集していないが、一人前になるのに最低10年、見習の給与は20万円に満たない。「本当にやる気のある人だけ志してほしい」と広瀬さん。
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