中日新聞CHUNICHI WEB

就職・転職ニュース

  • 無料会員登録
  • マイページ

やってみました 記者たちの職業体験ルポ 石工

2009/03/25

引き算だけで物作り

 秀吉配下の大名・田中吉政(一五四八-一六〇九年)が大修築した岡崎城の石垣。随所に残るのみの跡は、河内、和泉国(現在の大阪府)から招かれた熟練工たちが刻み込んだ。彼らを始祖に発展したのが「石都」岡崎の石工集団だという。
 岡崎市下佐々木町の通称「石工団地」にある、伝統工芸士小野直行さん(41)の工場。電動工具がなかった時代、職人の必須技術だったという石割りを学んだ。

 「石トウ」と呼ばれる金づちで、くさび形の工具「コヤスケ」をたたく。御影石の塊の周囲にぐるり一周、傷を入れ始めた。使い慣れない筋肉が緊張する。手つきは怪しい。

 あるタイミングで、小野さんが「もう一発、真ん中へんをたたいてみて」。半信半疑で一撃くれると、七、八キロはあろうかという石塊が、ぱっくりと二つになった。訳がわからず、記者はぼうぜん。熟練の耳が、ひびの入り具合を伝える打撃音の変化を読み取っていた。

 小野さんの専門は、仏像などの彫刻。豪快な石割りとは打って変わり、衣のしわや細かな目鼻立ちまで削り出す、繊細な仕事が必要になる。継ぎ足しのきかない石塊から“引き算”を繰り返し、一-三カ月で、数百年間残る穏やかな姿を作り出す。

 「おれたちは、先人が磨き続けた道具、技のおいしいところを使ってる。感謝を持って、育て続けなきゃね」。引き算だけの石工仕事と違い、伝統は積み増せる。業界の景気は決して良くないが、意地でも次代に伝える覚悟だ。熱い志に接し、手にできた血豆のうずきを忘れた。(中野祐紀)

 【メモ】岡崎市の石製品出荷額は年間約50億円で、日本3大産地の1つ。伝統工芸士は40人いる。石工になるためには、親方に付いて4年間修業する。この間月給は12、3万円ほど。その後、適性に応じて、仏像彫刻、墓石、灯籠(とうろう)、字彫り、磨きなどに分業していく。日々腕を磨き続ける根気が大事という。

観音像の顔を削り出す小野直行さん=岡崎市の小野石材店で
観音像の顔を削り出す小野直行さん=岡崎市の小野石材店で