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【暮らし】親も高齢化、見えぬ将来 深刻な中高年の「ひきこもり」 

2019/07/17

雇用不安が増加の要因に

 かつては若者の問題とされていたひきこもり。今、問題視されているのは中高年だ。国が3月に公表した調査結果によると、40~64歳のひきこもり状態の人は推計で約61万人にも。80代の高齢の親が、引きこもる50代の子どもの面倒を見る状況は「8050(はちまるごーまる)問題」と呼ばれ、親亡き後、子どもが頼る人を失うことが懸念されている。支援はどうあるべきか。

 ◇ ◇ ◇

 5年前のある日、長女の部屋をのぞいた瞬間、悲鳴を上げた。赤く染まった布団に倒れている長女。首を包丁で刺し、自殺を図ったのだ。長女は当時、41歳。一命を取り留めたものの「死のうとしたのは、その時が2回目。今も目が離せない」。78歳になり、いつまで元気でいられるかと思うたび、母親は不安に襲われる。

 長女は東海地方の高校を卒業後、事務員として就職したが、人間関係に悩み、4年で「辞めたい」と言いだした。「みんな働いているのに、なぜできないのか」。夫(78)が諭し、車で職場に連れて行った直後、長女はカッターナイフで手首を切った。そのまま1年ほど家にこもった後、今度は工場で働き始めたが、そこも半年で辞めた。以来約20年間ひきこもっている。

 長女は、パソコンはおろか、携帯電話も持たない。ほぼ1日中、自室で寝て過ごし、食事は1人。風呂にも入らず、母親が体をタオルで拭いたり、髪を切ったりしている。話し掛けても、返事はほとんどない。

 6年前、やっと連れて行った精神科で統合失調症と診断された。今は障害年金を受給し、月に数回、訪問看護を受けている。「私たちが亡くなれば娘も立ちゆかない。今後について話し合う必要があるが不安にさせるとその後が怖い」

 ひきこもりの高齢化は、3月に国が公表した調査データで初めて明らかになった。これまで39歳までだった対象を、40~64歳に広げて行った今回の調査。ひきこもりを「半年以上、家族以外とほとんど交流していない人。買い物などに出掛けるほかは外出しない人」と定義、身体的な病気のある人は除いた。

 それによると、ひきこもりの期間が5年以上の長期に及ぶ人は半数を超える51%に。複数回答できっかけを尋ねたところ、「退職した」が36・2%と最多で、「人間関係がうまくいかなかった」、「病気」がそれぞれ21・3%だった。

 2017年度、NPO法人KHJ全国ひきこもり家族会連合会が、生活困窮者向けに設けられている各自治体の相談窓口215カ所を調べたところ、回答のあった151窓口のうち、「ひきこもりの相談を受けたことがある」と答えたのは88・1%。それを年齢別に見ると四十代の相談が最も多く60・9%に。さらに、40代以上の109例について両親の状態を分析したところ、父親は「死別」が48・6%、母親は「70代」が32・1%で最多だった。親の死後、あるいは親が高齢化する中で、ひきこもりの中高年が貧困に陥る事態が浮き彫りになった。

 バブル崩壊後、国内の景気は低迷し、若者たちは超就職難に見舞われた。今の40代は、まさにその時代に社会に出た世代だ。08年にはリーマン・ショックもあった。政府が6月に発表した35~44歳の雇用形態によると、正規雇用を希望しながら非正規で働いている人は現在、50万人に上る。家族会連合会の調査をとりまとめた愛知教育大准教授の川北稔さん(社会学)は「非正規の仕事にしか就けなかったり、リーマン・ショックで雇い止めに遭ったりしたことが、生きづらさにつながっている」と分析している。

◆就労以外にも「居場所」を 支援の形見直す自治体


 職業訓練を行う就労移行支援事業所で週5、パソコンの使い方を学ぶ愛知県内の50代の男性。昨年、計20年近いひきこもりの状態から抜け出した。

 高校卒業後、専門学校に入ったが、人と話すのが急に怖くなった。結局、1週間で退学。家電量販店や飲食店でのアルバイトも続かなかった。家にこもるようになり、26歳の時、うつ病と診断された。

 ひきこもっている間は、「社会との接点を失いたくない」と新聞記事を書き写すなどして過ごした。常に「このままではいけない」という思いがあり、派遣会社に登録して働いた時期もあったが、再び人とかかわるのが苦痛になって閉じこもるように。社会不安障害などと診断され、障害者手帳を取得した。

 転機は3年前。80代の父親と、名古屋市の家族会「NPO法人なでしこの会」に話を聞きに行った。メンバーは、ひきこもりの子を持つ親たちだ。根掘り葉掘り聞かれることもなければ、「働かなきゃ」などと諭されることもなかった。「この人たちなら分かってくれる」と安心できた。会を通じて行政関係者の話を聞いたのを機に、就労移行支援事業所に通い始めた。今は「障害者枠でも働きたい」と意気込む。

 なでしこの会は2001年に結成され、会員は約90人。70代前後の親が中心だ。11年からの4年間は、愛知県の委託を受け、精神保健福祉士らを最大5人雇い、個別の訪問相談などを行っていた。13年には、ひきこもりの当事者が調理や接客を担うカフェも開設。住民らが昼食を食べに訪れるなど好評だった。

 こうした取り組みを支えた計8000万円は、国の緊急雇用創出事業交付金をもとに県が設けた基金だ。交付金のそもそもの目的は、08年のリーマン・ショックを機に失業した人らを仕事に就かせること。事業が15年で終わったため、カフェは2年を待たずに閉じた。自身もひきこもりの娘(31)がいる理事長の田中義和さん(67)は「会員の会費だけでは厳しい」と漏らす。

 活動の財源に雇用対策用の金が充てられたことが示すように、従来のひきこもり支援は、当事者を就労に導くことがゴールだった。だが、それは変わりつつある。なでしこの会をきっかけに、自立への道を歩み始めた男性は「親にとっても、子にとっても、まず必要なのは、自分の気持ちを吐き出せる外の『居場所』ではないか」と話す。自らの経験も踏まえ、家族だけで何とかするのは無理だと感じる。「どんな人でも自分の思いを分かってほしいという気持ちがある」

 注目されるのが、岡山県総社市の取り組みだ。17年に全国の自治体では初めて、ひきこもりの支援センターを開設。翌年には、市社会福祉協議会が空き家を借りて居場所「ほっとタッチ」の運営を始めた。センターでは専門職員2人が電話や訪問などで相談に応じるほか、「ほっと-」では市の講習を受けた住民らが一緒に野菜作りを楽しむなどしている。ひきこもりに関する行政の相談窓口は、40歳未満を対象とする青少年担当の部署が受け持つことが多い。一方、年齢の制限がない総社市では相談に来た207人のうち77人が40歳以上だった。

 15~39歳の若年層と中高年を合わせると、国内のひきこもりは100万人を超えるとみられる。愛知教育大の川北さんは「人とふれあえる居場所をつくり、掃除や調理など『役に立った』と感じられる活動をしてもらうことが第一歩」と指摘。「家族だけに責任を押しつけず、行政や支援団体などのチームで支えることが大事」と話す。

 (細川暁子)