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【暮らし】<研究者目指したけれど 大学非常勤講師らの嘆き>(上) 1年契約、弱い立場

2019/07/08

 「長女も長男も計画的に妊娠した。講義がない春休み期間にかけて生まれるよう計算しました」。1月に長男を出産した40代女性は打ち明ける。女性は東海地方の私立大2校で人文系の非常勤講師を務める。そうまでしても、大学での仕事は失いたくなかった。

 女性が大学院に入ったのは2002年。奨学金約600万円を借りて博士課程まで進んだ。業績を残そうと、年に1~2本、論文を書いては学会で発表を続けた。9年後、無事に博士号を取得。だが、それからずっと、非常勤講師のままだ。

 「大学で教えている」といえば聞こえはいいが、要はパート。大学専任の教員と違い、研究費はおろか健康保険や厚生年金の保障もない。契約は1年単位だ。

 女性の収入は月に15万円ほど。週に3日しか仕事がないため、長男は認可保育園に入れられず、月4万円を払って無認可の託児所に預けている。「何のために働いているのか、分からなくなる」と苦笑いする。

 結婚後は、夫の稼ぎがあれば食べてはいけた。しかし、仕事はやめなかった。もともと研究者を志したのは「性の違いで生じる不利益など社会の構造的な問題を変えたい」と思ったからだ。周囲の女性研究者は独身が多かった。学問の世界でも、一般企業と同じように、キャリアか、それとも家庭かを迫られる女性特有の境遇を、率先して変えようと決意していた。

 「1年契約の任期途中で休むと、大学に迷惑がかかる」と、第一子の長女は16年1月に出産。大学が春休みに入って講義がない2~3月は育児に専念し、次年度の4月から再び講義を受け持った。長男も、長女の時と同様、春休みをめがけて出産する計画だった。しかし、予期せぬことが起きた。切迫早産で、予定より4カ月早く、10月から仕事を休むよう言われたのだ。

 担当教授は「穴があいてしまう」と頭を抱えた。思わず「代わりが見つかるまで、講義を続けます」と言ってしまい、11月上旬まで働いた。結局、契約は11月限りで終了。運良く本年度も、2つの大学と契約を結べたものの、不安定な立場に変わりはない。

 文部科学省によると、全国の18歳人口は、ピークだった1992年の205万人から、2017年には120万人に激減。つぶれる大学も出始めるなど、専任教員の間口は狭まっている。加えて、研究者の世界は男性中心だ。18年度の大学院博士課程の在学者74367人の3割は女性。しかし、大学の専任教員に占める女性の割合は2割にとどまる。

 大学院時代の仲間には、研究者に見切りをつけ企業に移った人、行方が分からない人も。悔しいのは、博士号も持っていない女性が、顔が広い指導教官に気に入られてポストを獲得したことだ。「研究者も結局、コネが大事なのかと」

 大学院時代、同居していた母親が脳梗塞で倒れた。トイレの介助や食事の用意…。介護に追われながら、ようやく取った博士号。「いつか専任教員になれる」と信じて、頑張ってきた。でも、今は半分あきらめている。「転職をしてでも、正規の仕事に就きたい」

        ◇

 末は博士か大臣か-。かつては子どもの将来を楽しみにして使われた言葉だ。しかし、今、研究者を目指し、大学院で博士号まで取った高学歴の人たちが苦境にあえいでいる。正規の職に就けず何年も非常勤講師の地位に甘んじていたり、雇い止めの恐怖にさらされていたり…。不安定な立場から抜け出せない彼らの窮状を2回に分けて見る。

 (細川暁子)

子ども2人を大学の春休みに合わせて出産した非常勤講師の女性(右)=東海地方で
子ども2人を大学の春休みに合わせて出産した非常勤講師の女性(右)=東海地方で