2009/01/28
社長業にも意欲研究つづく人生 定年後に起業したエンジニア 石原彰治さん(62歳)
「まさか自分が会社をつくるとは」
名古屋市港区の石原彰治さんは、照れくさそうに名刺を差し出した。会社は、工場内の信号伝達用の光ケーブルを加工する「石原電機」。昨年四月に操業を始めた。製品は三菱ブランドで出荷されている。
長年、三菱電機システムサービスで働いてきた。三菱電機の製品修理を手掛ける子会社だ。
技術の進歩とともに、会社の扱う製品は、機械的なものから電子機器的なものへと幅を広げていった。石原さんの仕事も、家庭用井戸のポンプの修理から工業用天井クレーンの修理、工場の生産ラインを制御するシステムの調整へと大きく様変わり。名古屋に家族を残し、大阪や東京に十年以上単身赴任。海外へも数年にわたり出張が続いた。
一昨年三月に定年を迎えた。雇用延長もできたが、退職を選んだ。「一度区切りをつけたかったから」。趣味でも楽しみながら、将来を考えようと思っていた。ところが、退職直前、同僚から思わぬ提案を受けた。「会社をつくって社長をやってくれないか」
同システムサービスは、家電の修理、システム開発のほか、工場の自動化に不可欠な光ケーブルなどを製作している。その部門が大阪から名古屋に移る。光ケーブルの両端に接続部を付ける作業をしてくれる外注先を名古屋で見つけなければならない。そこで白羽の矢が立ったのが石原さんだった。
それまでかかわったことのない分野だったが、新事業挑戦は慣れっこ。不安はなかった。それよりも、人を雇う社長業の責任の重さから一瞬ためらった。「でも、必要とされるなら」と提案を受けることにした。
社屋や設備は同社から借り受けた。名古屋商工会議所が主催する「起業塾」に通って経営のノウハウを学び、一昨年十月に起業。パート従業員らを募集し、研修を積んでもらった。運転資金は退職金の一部を充てたが、準備期間の賃金など意外に出費がかさんだ。
発注元は100%同社。景気後退で受注は減っているが「社長として従業員を引き受けた以上、何とか雇用を守りたい」と話す。一人当たりの就業時間を減らすなどして仕事を分け合い、人は減らしていない。
平日の昼間は、従業員(正社員二人、パート六人)と製品の梱包(こんぽう)などに汗を流し、夜、家に帰って帳簿などをつける。「体重は五キロ減り、血糖値も良くなった。健康にいい」と笑う。「世の中は変わっていく。時代についていくため常に研究しないと」。技術の進歩とともに歩んできた人だけに、言葉に実感がこもっていた。 (佐橋大)
<私の趣味>
趣味は山登り。若いころには中央アルプスへの正月登山など冬山にも挑み、日本中の著名な山はほとんど登った。起業で忙しくなり、定年前に計画した定年記念の富士登山は断念した。八ケ岳山麓(さんろく)の土地に建てたログハウスを拠点とした登山もなかなか実現しない。会社設立からの一年三カ月は、休日も仕事に追われ「ログハウスには月一回、行けるかどうか。ちょっと残念ですが、のんびりも、忙しいもそれぞれに良さがありますよ」。
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