2013/05/29
就農を希望する若者を指導
畑に植えたナスの苗の列のうち、1つの列がしおれていた。「植え方もちゃんと彼に教えておかないとね」。彼とは、就農を目指す中国残留孤児3世の男性(35)のこと。宮沢信代さん(67)は「農業の里親」として、3年前から長野市内の畑で新規就農の希望者を指導している。今年は市内から通うこの男性を担当。不在時に頼んでおいた苗植えのやり方を、男性が誤ったようだ。
中国とは縁がある。給食調理員をしていた同市職員のときに日中友好協会に入り、残留孤児の支援のほか、中国に度々足を運んだ。急速な発展でみるみる豊かになる中国人の食生活。この国はこれからも食料の輸出を続けられるのか、食の安全は守られるのか-。
振り返って故郷を見れば荒れた休耕田や耕作放棄地が増加。「日本の農地を守らなければ」。定年を機に、退職した高齢者らと地元で農地の再生を始めた。雑木を切り、根を掘り起こし、やせてしまった土を耕した。2年目からは野菜の収穫が少しずつ増え、戸隠山のふもとにソバの白い花が咲き誇った。
でも、将来の農業を本当に守れるのは若い人材。「年寄りは年金があるからやれる。若い人には、もうかる農業をさせないと続かない」。どうしたら農産品の付加価値を高められるのか、知恵を絞る毎日だ。
1歳の時に結核で亡くした父の顔は知らない。25歳だった母は、戦後の混乱と貧困と子育てを1人で背負い込んだ。他人の家の物置や林の中の廃屋などを住まいに転々としながら、母は農作業に励み、工場で懸命に働いた。そんな時代だったが、今の自分の核となる確かな記憶がある。「母は幼い私を肌身離さず育ててくれた」
20歳で結婚し、3女を授かった。母が育んできた田んぼを守りながら、30代で就いた給食調理員の仕事を続けた。生活に余裕が生まれたときに始めたのが、親との死別や経済的理由で施設に預けられた子を養育する里親だった。
今は、親から虐待を受けて保護された10代の少女と2人で暮らす。多感な少女は荒れることもあるが、農作業も手伝う。少女が言った。「おばちゃんの恋人は畑だね」。手をかければ必ず応えてくれる。野菜も、土も、人も。 (林勝)
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新規就農希望者を支援する「里親制度」を導入している自治体は多く、2003年に始めた長野県は先駆け。同県では農業技術の指導に熱心な農業者が、里親として指導。里親に支払う指導謝金のうち、3分の1を新規就農者が負担、残りを県が助成する仕組み。
里親は農地や住宅の情報を提供したり、就農後の相談にも乗るなど、地縁のない人も地域に溶け込みやすいようサポートする。農業研修への助成制度もあり、これまで200人以上が就農を実現した。
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