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あの人に聞いてみよう/手描きでぬくもり 国の「現代の名工」 

2012/10/01

映画看板職人 紀平昌伸さん(72)

 4000点以上の映画看板を手掛け、国の「現代の名工」に選ばれた映画看板職人の紀平昌伸さん(72)=津市桜橋。この夏には43年ぶりに封切り映画の看板に挑んだ。半世紀以上にわたり第一線で活躍する紀平さんに、映画看板に懸ける思いや魅力を聞いた。 (宿谷紀子)

 -映画看板職人になったきっかけは。

 当初は一般の看板屋への就職が決まっていた。でも私は昔から絵が好きだったので、少しでも絵を描けるよう父が映画看板職人に頼んでくれて、弟子入りできた。

 最初はリヤカーの付いた自転車に乗り、町中にある映画看板を回収するだけ。1年たって初めて看板を描かせてもらった。親方のやり方を見ながら仕事を覚えた。

 -映画看板の難しさは。

 映画看板は大きなトタン板にざら紙を貼り、鉛筆で下絵を描く。ニカワを混ぜた泥絵の具で色を付け、タイトルを描き入れて完成する。

 当時は映画全盛期で、津市内だけで映画館が10館あった。映画の封切りに合わせて、1週間に5枚ペースで描き続け、早く仕上げることが重要だった。

 でも、客の入りが悪いと「看板のせいだ」なんて言われてね。映画のPR写真を見て構図を考えるとき、いかにその映画の特徴を引き出せるのかが勝負だった。

 -1960年代が映画全盛期とされる。

 津市内の映画館も2館くらいに減り、仕事がこなくなった。30歳のころだったね。でもそれまでに身につけた技術があったから、デパートなどの看板を仕事にしてきた。

 -ここ数年、1回り小さな映画看板を描き、個展などで発表している。

 2005年の技能5輪で、手描き看板の良さを伝えようと作り始めたのがきっかけ。50点を描きため、個展をしたら好評だった。50年前は当たり前にあったものだけど、今はないので新鮮なんでしょう。

 -43年ぶりに洋画「アベンジャーズ」の看板を手掛けた。あらためて映画看板の魅力は。

 印刷されたポスターと違い、同じものは1枚もない。職人が丹精した手描きの方が、みずみずしさやぬくもりを伝えることができる。だから見る人を引きつけるんでしょう。

 きひら・まさのぶ 
1939年(昭和14)年、津市生まれ。15歳で映画看板職人に弟子入りした。4年後に独立し、23歳で「キヒラ工房」を設立。映画館の手描き看板が衰退してからは、それまでの技術を生かし、デパートやイベントの看板や装飾を手掛ける。今年7月、封切り映画としては43年ぶりに洋画「アベンジャーズ」の看板を手掛けた。