2012/07/18
◆後継者難の業界 再生の期待一身に
伝統の壁塗りを会得しようと、浜松市南区の左官業「武左工業」で、2人の若者が修業に励んでいる。桑原徹さん(33)と●林(くればやし)克行さん(20)は、ともに大学進学よりも、職人への道を選んだ。後継者難に頭を痛める親方らは、黙々と修業する2人の姿に、業界の再生を期待している。
桑原さんは、静岡県内でも屈指の進学校、浜松北高校出身。高校卒業後にヨーロッパを中心に放浪し、何度も修繕して残ってきた町並みの美しさに心ひかれた。「昔が残る土着の文化にあこがれた」。浜松に戻ってから、古い家や物が次々と壊されて新しくなるさまを見て「なんとかしないと」と思い立った。
福岡県に渡って、農薬も機械も使わない農業を学んだ後、新潟県に引っ越した。くぎやボルトを使わずに家を建てる「木組み」を続ける大工のもとで、6年半働いた。
今年の3月に地元に戻り、武左工業の門をたたいた。材料運びのような下働きばかりでも、親方たちの仕事を見て覚え、雨で仕事のできない日も勉強しているという。
一貫して伝統技術を学んでいる桑原さんだが「昔がただいいというわけではなく、未来につなげるヒントとして、昔を追究したい」と話す。将来は町並み保存や古民家再生などを通じた地域活性化が目標。まずは、5年は必要と言われる左官修業に集中する。
●林さんは、山梨県の韮崎高校を昨年卒業した後、すぐに浜松に来た。職人にあこがれて、住み込みで働くことに。「遊ばないようにしたかったから」と、縁もゆかりもない浜松を選んだ。
材料練りや材料運びが多いが、練習のために、押し入れの中などの下塗りを任されることもある。「こてを持っていると夢中になる」といい、仕事のない日は、灯籠や花器を塗って練習している。
いずれは山梨に戻りたいと夢見る●林さん。「家族みたいに面倒を見てくれる親方のやり方を広めたい」と話す。
県左官業組合によると、県内の左官の会員数は約300人と、最盛期だった昭和末期~平成初期の3分の1に落ち込んでいる。同社の水野武昭社長(63)も「仕事が減って継承者が減る悪循環。気の毒で若者に左官を勧められない」とこぼす。そんな中で頑張る2人には「しっかりがんばってほしい」とエールを送っている。
(木村春毅)
(●は格の各が守)
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