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【くらし】<はたらく>編集部丸ごと 地方へ移転 雑誌「自遊人」 思い切った試み

2012/05/25

東京→新潟・南魚沼 
仕事と生活 調和

 東京から新潟県南魚沼市へ、編集部みんなで移転した出版社がある。雑誌「自遊人」。都会の一角で不眠不休を競って働いていた社長と社員が8年前、豪雪地に移住し、仕事と生活の調和を手に入れた。大震災後、家族との時間を大切に考え、働き方を見直す人が増える中、自遊人の大胆な試みを取材した。 (発知恵理子)

 小学校跡地に立つ元宿泊施設を改装した、木の香りが漂うオフィス。窓から新緑の里山風景が広がる。「雪解けして、ブナやフキノトウが芽吹いて。この時期は毎日、景色が変わるんですよ」と、自遊人の社長兼編集長、岩佐十良(とおる)さん(45)が目を細める。

 自遊人は、岩佐さんが大学在学中に設立した編集制作会社が前身で、社員は約20人。2000年に食と温泉がテーマの雑誌「自遊人」を創刊した。部数のピークは16万5000部。中高年のライフスタイル誌では「サライ」に次ぐ人気誌に成長した。

 かつての編集部は、東京・日本橋にあった。来客が絶えず、常に誰かが泊まるほどの忙しさ。働き詰めで体調を崩す社員もいた。食事はコンビニ弁当やファストフードが定番。時間があれば評判の店を食べ歩いた。

 それが04年6月、南魚沼市に移転する。コスト削減や米作りへの興味、健康のためなど理由は多々あった。東京から新幹線と在来線で約2時間。独身の社員4人が移住し、他は東京に残した営業部門などに異動、退職者もいた。

 岩佐さんは「東京で仕事し、消費し続ける生活がばかばかしいと思うようになった。でも当時は変人扱いで、とても言えなかった」と振り返る。メディア企業がわざわざ地方へ。周囲は「情報感度が低くなる」「絶対にうまくいかない」と理解を示さなかった。

 移転すると、静かな環境のおかげで、以前と同じ量の仕事を効率的にこなし、徹夜はしなくなった。土日はアウトドアを楽しむ余裕が生まれ、夕食は社員が当番制で作る玄米と野菜中心の大皿料理を囲む。

 「情報を取りに行く姿勢があれば、どこにいても同じ」と岩佐さん。収入は減ったが「全部を手に入れることは無理。この暮らしはお金で買えない価値がある」と言う。

     ◇

 風向きが変わったのは、08年のリーマン・ショックから。特に東日本大震災後は「うらやましい」という声が圧倒的になった。

 食の取材を続けるうち、「読者に本物を味わってほしい」と考え、国産や無添加などにこだわった食品の通信販売「オーガニック・エクスプレス」を本格化させる。

 原料や製法まで指定して自社で企画開発する商品は、しょうゆやみそ、野菜ジュースはじめ500点を超え、今では売り上げの7割は食品販売が占める。当初は社員の“課外活動”だった米作りも、農業生産法人を立ち上げて本腰を入れ始めた。その翌年、大震災が起きた。

 「何のために働き、何が大切で、何を捨てられるか。自分の価値観がどこにあるのか。原発事故がみんなに、強引に選択を迫った」と岩佐さんは言う。

 考えた結果、雑誌は5月号から発行を隔月から年4回の季刊に。前々から構想していた、カフェや滞在施設、農園などを備えたファームを実現させるためだ。

 「米粒1つがメディア。実際に食べて体験してもらう方が、伝わる力が強い」。今はファームの候補地を探しており、新たな地へ移住する日が訪れるかもしれない。

雑誌「自遊人」の編集部で仕事をする岩佐十良さん(手前)。窓越しには、四季折々の自然が=いずれも新潟県南魚沼市で
雑誌「自遊人」の編集部で仕事をする岩佐十良さん(手前)。窓越しには、四季折々の自然が=いずれも新潟県南魚沼市で
商品の試食も兼ねて、夕食は社員が手作り。この日は、タケノコご飯に切り干し大根の煮物など
商品の試食も兼ねて、夕食は社員が手作り。この日は、タケノコご飯に切り干し大根の煮物など