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壮春グラフティ/学習塾を開いた元小学校教師 

2012/04/18

 武山勝子さん(57)
1人1人の芽伸ばす

 「よく頑張ったね、難しい問題なのに。はい、合格」
 庭に面した八畳間のホットカーペットの上で、武山勝子さんと子どもたちが小さなテーブルを囲む。

 武山さんは3年前、宮城県東松島市の自宅で、小学生向けの学習塾を始めた。塾の名前は「ひと芽」。

 塾生は九人いるが、一度に教えるのは多い時でも3人。図形が得意な子ども、応用問題が苦手な子ども…。特性を見極めながら、その子に合った教材や問題をあつらえる。

 1人1人の芽を大きく、たくましく伸ばしたい。ひと芽という言葉に込められた武山さんの思いは、自身の経験に深く関係している。

 石巻市の海岸沿いで育った。実家は裕福ではなく、両親は3人姉妹の長女の武山さんに、中学を卒業したら手に職を付け、家を継いでほしいと願っていた。「おなばすが(女のくせに)、大学行ってどうすんだ、という周囲の目もありました」

 勉強が好きだった武山さんは、進学できないやりきれなさを、中学の担任の先生にぶつけたという。校舎の床板をわざと踏み抜いたり、模擬テストをサボったり。修学旅行には、禁じられた髪飾りを着けて参加した。

 だが、父親を説得して進学させてくれたのは中学の担任だった。

 高校の担任と教頭も実家を訪れ、「大学を出て学校の先生になれば、給料が安定する」と父親を説得。3人の先生が毎日、朝と昼休み、放課後に英語や数学を教えてくれた。

 その甲斐(かい)あって新潟大学教育学部に合格。「生意気な悪ガキで、学びたい気持ちだけが強かった。そんな思いを受け止めてくれる先生に恵まれた」と振り返る。

 卒業後、小学校の先生になった。毎日、宿題を出し、きちんとやっているか全員のノートを確認した。テストで100点を取れなかった子どもには、正解するまで何度でも問題をやり直させ、100点を付けて返した。

 子どもの学びと真剣に向き合う日々。だが、長年、患っていた心臓病が悪化し、54歳で退職した。

 ゆっくり静養するつもりだったが、近所の子どもの親たちに頼まれ、勉強を教え始めた。それがひと芽の始まりだった。昨年3月の東日本大震災では、海岸から2・5キロ離れた自宅にも津波が押し寄せた。壁やドアが壊れ、教材は泥をかぶった。

 寒さと疲労で一時は体調を崩したが、「いつ始まるの」という子どもの声に押され、3カ月後に塾を再開した。

 子どもに向き合う武山さんの脳裏には、いつも恩師らの姿がある。「子どもが今までできなかったことを、できるようになる。その時が1番うれしい。生きがいです」 (伊東治子)

子どもに計算を教える武山さん。津波で泥をかぶり、使えなくなった家具やストーブは、友人らが代わりの品を送ってくれた=宮城県東松島市で
子どもに計算を教える武山さん。津波で泥をかぶり、使えなくなった家具やストーブは、友人らが代わりの品を送ってくれた=宮城県東松島市で