2012/02/12
車いすシェフ 伊藤 健さん(37)
1年ちょっと前から「車いすシェフ」として活動し、料理を教えたり、メニューを考えたりしています。来年3月には静岡市に障害者が働く洋食屋がオープンして、僕が料理長を務めるので、今はその厨房(ちゅうぼう)設計のアドバイスもしています。
料理は子どものころから好きでした。大学時代もイタリア料理店で2年間アルバイト。卒業して1年間はサラリーマンをやりましたが、自分には合わず、小牧市のイタリア料理店で働き始めました。やがて現地を見たいと思うようになり、イタリアに渡りました。26歳のことです。
イタリア、スペインに合わせて4年3カ月いました。ミシュラン一つ星の店を中心に6店舗で働きましたが、楽しかったですね。人をもてなすのがうまい国で、おいしい料理を出すだけじゃなくて、お客さんを大切にすることが、店にとって一番大事なんだと勉強になりました。
帰国してからは同じ系列のスペイン料理店3店で働いて、東京・丸の内と名古屋のミッドランドスクエアの店では料理長でした。倒れたのは2008年7月です。ウイルスが脳に入る非ヘルペス辺縁系側頭葉脳炎で、2カ月間は意識不明で丸1年入院しました。今は普通にしゃべって上半身も動くまでに戻りましたが、足だけは動きません。車いすの生活になりました。
退院してリハビリしながら考えました。料理長にまでなって山の頂上に立ったと思ったら、病気になって引きずり降ろされた。今、この体で何ができるのか。よし、もう一つ別の山に登ろう、違う生き方があるんじゃないかと思ったんです。
イタリア語の通訳やイラストレーターなどを目指して勉強しましたが、長続きしなかった。やっぱり料理なんだ、違った形でやればいい、そう気付いたのは10年秋でした。
それからは料理教室ができる場所を探したり、ブログで自分をPRしたり、いろいろ動きました。それで福祉用具販売・貸与会社の経営者と知り合い、障害者の店の料理長に就くことになりました。働くのが障害者なので、車いすに合った調理台の高さや通路の幅などを設計士に伝えています。店はセルフサービスで、1食600~800円くらいかな。これが僕にとってもう1つの山でした。でも、この店は5合目くらい。頂上はまだ先にあります。5合目の先をどう生きるか、それは年を重ねながら考えていきます。 (聞き手・金森篤史)
いとう・たけし 1974(昭和49)年9月、大口町生まれ。名城大農学部卒。イタリアとスペインで料理修業後、名古屋市のスペイン料理店などで料理長。2008年夏に病に倒れ、10年秋から「車いすシェフ」として活動。大口町在住。
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