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【三重】希少な技全国から注文

2012/01/08

野鍛冶職人 大川治さん(75)=新宮市相筋

 カン、カカン、カカカン、カカカン-。熊野川の土手に面した新宮市相筋。昭和初期に建てられた木造平屋の「大川鍛冶屋」の仕事場からリズミカルな金属音が響く。年季の入った工具や砥石(といし)などが雑然と並ぶ仕事場には、鼻の奥をくすぐる「鉄」のにおいが満ちていた。

 主の大川治さん(75)は、タケノコ掘りに使われた古いくわの先に刃を付け足して、新品同様にする「先がけ」と呼ばれる作業の最中。木炭とコークスが赤々と燃える火床(ほと)の中へ、くわを入れ、真っ赤に焼けると鎚で打ち付ける。「お客さんの生活が懸かっているくわ。山に入って刃が折れたら、1日仕事ができない。五感を使い、全身全霊でやらないと」。黙々と鎚を振るうたび、八方に火花が飛び散った。

 1915(大正4)年に祖父が始めた鍛冶の仕事を大川さんが始めたのは、17歳の時。父啓(ひらく)さんの手ほどきを受けながら少しずつ仕事を覚えた。

 熊野地方は林業が盛んな土地。1960年ごろには大川鍛冶屋でも7人の職人を抱え、なたや、枝打ちに使われる「よき」と呼ばれるおのなどの注文が舞い込んだ。しかしチェーンソーが普及し、機械化が進むにつれ需要は減る。林業の衰退も響いた。

 今は大川さん1人。返って数が少なくなった鍛冶屋に全国から注文や修理が来る。「鉄がくわやかまなどの形になっていくのが面白い。これこそがものづくりの楽しさだね。生活もできるし万々歳だよ」。

 時々、若い人たちが弟子志願に来る。しかし弟子は取らないことにしている。「始まりに時があり、終わるに時があるから」。敬虔(けいけん)なクリスチャンでもある大川さんは聖書の言葉を引く。時の流れに逆らおうとしない。

 「鍛冶屋はなぜか長生きするんだ。あと10年は続けるつもり。92歳で亡くなった父親も85歳までやったから」と笑う。仕事にプライドを持ち、今日も丹精込めて道具に向き合っている。 (池田知之)

【野鍛冶刃物】
 くわやなた、おのなど、農業や林業、漁業のほか、家庭などに使われる刃物の総称。新宮市相筋では、昭和初期の最盛期に約30軒の鍛冶屋があったが、林業の衰退や量販店などで安価な製品が出回ったことなどに伴い、次第に減少した。

真っ赤に焼けたくわをたたく大川さん=新宮市相筋で
真っ赤に焼けたくわをたたく大川さん=新宮市相筋で