2011/10/19
東京都世田谷区の有隣病院の病室で、車いすに座った入院患者の男性(77)のヘアカットが始まった。男性が耳を触ると、藤田巌さんは「耳にかからないようにいたしましょう」と希望をくみ取る。全体を丁寧に整え、「鶴田浩二か(萬屋)錦之介か。男前に仕上がりました」と喜ばせた。
藤田さんは2001年から、病院や高齢者福祉施設、個人宅を訪問してヘアカットやパーマなどを行う福祉美容室「カットクリエイト21」(横浜市栄区)を経営している。
58歳で定年を迎えるまで、「富士通」の営業マンだった。30代には6年間ブラジルに駐在し、販路を開拓した。転機は45歳のときに受けた社内教育。現場を離れて教養を深める中で、定年後の生活を考えた。
「人生二毛作の方が楽しいはず」。図書館で他業種の業界紙を読み、新たに打ち込む“何か”を探すようになった。5年後、ある記事を目にした。寝たきりの女性(92)が髪を整えてもらったところ、元気に歩くようになったと紹介されていた。
「感激して自分もできないかと考えた」。手先は不器用だが、「新しいことだからこそ挑戦したい」。趣味のマラソンを通じ、「不可能に思えても綿密に準備すれば達成できる」と実感していた。
美容師の国家資格を取るため、美容専門学校の通信教育を受け始めた。会社には内緒。必修の店舗実習は「土日に手弁当で2年間無遅刻無欠席なら、修了と認める」との条件のもと、週末を捧(ささ)げた。
実技試験には2度苦杯をなめた。3度目の直前は朝4時に起き、パーマのロットを巻く練習をしてから出勤。夜も専門学校で特訓を受け、65歳で合格を果たした。介護を知るため、ホームヘルパー2級の資格も取った。
退職後は国内外で経験を積み、60歳のとき、バリアフリーの美容室を居抜きで買い、念願の訪問美容をスタート。07年には東京都世田谷区に、「若返る」の願いを込めた出前美容室「若蛙」を開設した。現在はスタッフと共に月2000~3000人の訪問美容を行っている。
前出の男性は難病で2年間入院しており、「とても助かる。外部の人と会うのも楽しみ」と隔月で依頼する。同院のケアワーカー・丸山具視さん(34)は「尊厳を守り、その人らしく生きることへのサポートは貴重でありがたい」と藤田さんに信頼を寄せている。
高齢化が進む中、訪問理美容のニーズは高まっている。「待っている人のため、日本中で受けられるようにしたい」。二毛作の収穫期はまだ続いていく。
(杉戸祐子)
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