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【流儀あり】流行より、50年後残る味 プルシック・所浩史オーナー

2011/07/26

 50歳直前に、自分の店を持ちました。かつての会社では、パティシエとして「パステルなめらかプリン」を開発し、取締役になりました。でも今は、借金を抱えて売り場四坪、スタッフ7人の店を切り盛りしてます。

 「何で?」と聞かれますよ。正直、生活は安定してました。でも会議が増え、お菓子作りの現場から離れていくのが嫌でした。死ぬまでパティシエでいたかったんですよね。お菓子作りを通して自分を高め続けたかった。わがままなんです。

 父は洋菓子店を経営していました。後を継ぐものと思って修業していた27歳の時、父が事業に失敗して閉店しました。帰るところがなくなって「本当に自分がやりたいことだったのか」と疑問がわき、北軽井沢のペンションで住み込みで働き始めました。

 でもクリスマスの時、オーナーに頼まれてケーキを作ったら「その方が楽しそう」と言われて。その一言で、もう一回戻ろうと決めたんです。

 「パステルなめらかプリン」はテレビで紹介され、年間2700万個、約80億円を売り上げました。おいしさに自信はありましたね。

 退社した後はこだわり抜いた高級プリンのネット販売を手がけ、最大3カ月待ちのヒットになりました。でも注文はメール。顔が見えないやりとりは苦手に感じました。

 今の店は、開店前から行列ができ、ほぼ毎日来てくださる人もいます。自信がある商品しか売りません。天然のバニラビーンズや純粋な生クリームなど、素材にこだわった「所プリン」と「所ロール」をメーンに5種類だけ。おいしいものができたら売り、流行は追いません。

 原材料は産地を見に行き、納得しないと使いません。東日本大震災の時は愛用していた卵が手に入らず、8日間休業しました。代替の卵で作ることもできましたが、それでは味が保てず、裏切りになります。店の前でずっと、来てくれたお客さんに謝り続けました。

 うまいものは残るんです。宣伝すれば最初は来てくれるけど、再来店はうまいかどうかだけでしょう? 顧客データも取りません。みんな、違うことに労力を取られすぎてるんじゃないですか。この店はシンプルにいきたいんです。

 50年後も残る、食べて笑顔になるお菓子を作りたい。足を運んでくれた人を裏切らず、喜んでいただけるように。その繰り返しで店が続いていくことが目標ですね。

  聞き手・今村節

  写真・浅野誠

 【ところ・ひろし】 60年生まれ。東京や欧州で修業した後、チタカ・インターナショナル・フーズ(愛知県北名古屋市)に入社。「パステルなめらかプリン」を開発し、大ヒットさせた。08年退社し、プリンを専門にネットで販売する「スイーツマジック」を共同出資で設立、1個600円の高級プリンが話題に。09年に退社し、出身地である岐阜市に株式会社「菓子道」を設立。洋菓子店「プルシック」を10年9月、同市に開店した。50歳。

プルシックの所浩史オーナー=岐阜市琴塚のプルシックで
プルシックの所浩史オーナー=岐阜市琴塚のプルシックで