2011/06/08
東日本大震災による津波で大きな被害を受けた千葉県旭市の飯岡漁港で、79歳の船大工が奮闘中だ。病気のため、一度は現場から退いたが、船主からの修理依頼が続々。衝突などで傷ついた漁船の修理に汗を流している。 (杉戸祐子)
「船の墓場だったよ。沈んだ船の上に乗っかっちゃったり、陸に打ち上げられたり、消波ブロックの上に止まってたり。助かった船も、今回のけがは特別だなぁ」。同市の船大工飯島誉富(たかよし)さん(79)は修理の手を止めることなく話し始めた。
「けが」とは、津波による船の損傷のこと。衝突などで船体がえぐれたり、マストが折れたりした船を、飯島さんは3月下旬から黙々と直し続けている。
同港は千葉県内で銚子漁港(銚子市)に次ぐ漁獲量を誇る。例年なら、シラスやハマグリ、カタクチイワシなどの漁でにぎわう時季だ。だが、地元の漁業組合によると、津波で港内に停泊していた漁船約150隻のうち12隻が転覆し、30隻が陸に打ち上げられたほか、約80隻が損傷を受けた。
東京大地震研究所の現地調査によると、同港周辺には3・4~7・6メートルの津波が到来したと測定されている。
飯島さんは60年以上のキャリアを持つベテランの船大工だ。尋常高等小学校を出てすぐに修業をし、木船を造る技術を体得した。約2年前に心筋梗塞で倒れて以来、たまに知人の船を修理する以外は第一線を退いていたが、同港には飯島さん以外に船大工がいない。震災後、近隣の業者に修理を依頼した船主もいたが、飯島さんにも修理の依頼が次々と舞い込んだ。
「山長丸」(5トン)は他の漁船や岸壁にぶつかり、船体にひびが入ってエンジン室に水が漏れるようになった。飯島さんは、素人目には見えないひび割れを特定し、グラスファイバーを溶剤で溶かして塗り、水漏れを防ぐ修理を施した。「木船を直すよりずっと簡単。このへんから漏るだろうというのは勘で分かるよ」。山長丸の林長治船長(65)は「自分では気付かなかった。棟梁(とうりょう)のおかげ。ずっと長生きしてくれないと大変だ」と感謝している。
山長丸の作業を終えた飯島さんは、隣で修理を待っていた別の漁船の船体のへこみにパテを塗り込んだ。「もうちょっと膨らましてやりてえな」。つぶやきながら、丁寧な作業が続く。手で触れて少しでも凹凸があれば、削ってグラスファイバーを重ねる。「船も人間と一緒で、きれいに化粧もしないとな」
来月で80歳を迎える肉体は、時に悲鳴も上げる。「足元のワイヤを越えたつもりが越えてなくて転がっちゃった(転んだ)り、ちょっとした段差にもつっ転ぶんだ」と苦笑いもするが、「だるくて今日は休みにするかな、と思った朝も、仕事の電話が鳴ると元気が出ちゃうんだな」。雨の日を除き、ほぼ連日作業を続けている。
「こんなことで忙しいのはそうそうあっちゃいけないよ」と顔をしかめるが、「遊んで暮らすよりよっぽどいいさ。皆にうれしがられて金ももらえて。人に負ける気はないし、100歳まででもやるよ」と飯島さん。「人は努力して働いて生きるもんだ」。次の漁船が熟練の手を待っている。
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