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【暮らし】災害時の“命綱” 復職求める国際電話オペレーター

2011/05/11

 交換手として国際電話をつないできた元オペレーターたちが、職場復帰を求めている。サービスを提供してきたKDDIが昨秋、国際オペレーター通話のサービスを縮小し、拠点を東京都内から沖縄県に移転したのに伴い、職を失った。東日本大震災が起き「震災直後こそ、必要なサービスだった」と訴える。 (稲田雅文)

 「どうやって(海外の)皆さんは安否を確認しているのか。つながらず、やきもきしているのではないか」

 先月1日、個人加盟制労働組合の全国組織として知られる全国ユニオンなどが、KDDI本社(東京都千代田区)前で実施した抗議行動。オペレーターとして七年余り勤めた木藤直子さんは、仕事ができない無念さをにじませながら、拡声器のマイクを握った。

 オペレーターに依頼してつなぐ形で始まった国際電話は現在、直通ダイヤルが一般的だが、緊急時のニーズは残る。特に地震の際は通話が集中し、直通の国際電話がつながらない可能性が高い。オペレーターを介した通話は優先され、つながりやすいという。

 長所の一つが、連絡したい相手の名前を告げてつないでもらう指名通話。十年の経験がある丸井美穂さんは「今回の震災で自宅を失った人には直通でつながらない。携帯電話も駄目。私たちなら相手の名前や住所から避難所を一つずつたどり、話したい人にたどり着くまでかけ直せた」と語る。

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 オペレーターたちは、9・11米中枢同時テロやスマトラ沖地震など、海外で災害などが起こるたび、海外から家族への無事を知らせる電話をつなぎ続けた。公共性があり、高い語学力と経験が必要とされる仕事だが、待遇は切り下げられてきた。

 1998年、当時のKDDは国際電話センターを子会社に運営させることにし、直接雇用だったオペレーターたちは時給1400円前後で働く有期契約社員に。労働条件を改善しようと2006年、子会社名を冠した労働組合「KDDIエボルバユニオン」を有志で結成した。

 しかし、KDDIはサービスを10年3月で終了すると発表。存続を求める世論もあり、サービスを縮小した上で存続することになったが、10月に拠点が沖縄県に移って、ベテランのオペレーター約50人は失職した。うち30~60代の9人が12月、地位確認と損害賠償を求めて提訴した。

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 同ユニオンは「各国のオペレーターとの協力関係が重要だった」と強調する。国内から中国にいる人につなぐ場合、英語で中国のオペレーターに依頼すると、その先をつないでくれる。その逆の依頼も引き受ける。しかしオペレーター同士を結ぶ専用回線を廃止したため、「協力して国際電話をつなぐ体制から、日本だけが離れてしまった」。

 サービス縮小についてKDDIは「直通でかけたり、メールでやりとりする時代になり、ニーズが少なくなった」と説明する。ピークの八七年度、発信だけで年間1183万件あった利用も、今年2月の1カ月間で、発着信合わせ863件。専用の交換台が耐用年数を迎え、更新に10億円程度かかることもネックだった。ただ、サービス縮小後も「同等のサービスは提供できている」とする。

 緊急時の“命綱”としてサービスの重要性を一番感じているのが、電話をつないだ元オペレーターたち。ユニオンのメンバーはいつでも復職できるよう、職探しはしていない。

 同ユニオンの見留(みとめ)洋子委員長は「震災で被災した外国人の家族は、声が聞けず困っているはず。日本は安否確認ができない国になってしまった。サービスを復活させるべきだ」と主張する。

 <KDDIと国際通話> オペレーターによる国際電話の取り次ぎは1934年に始まり、53年設立の国際電信電話(KDD)が長年独占提供してきた。同社と第二電電(DDI)、日本移動通信(IDO)が2000年に合併、翌年にKDDIに社名変更した。auブランドで携帯電話事業を展開する。