2010/10/29
二〇〇八年のリーマン・ショック以降、製造業を中心に雇用が冷え込む中、農業への関心が高まっている。仕事のきつさ、不安定な収入などから敬遠されがちだったが、最近では若い世代の就農も増加。背景には、雇用情勢の悪化だけでなく価値観の変化もあるようだ。 (稲田雅文)
「作業後の丼飯がおいしいんです」-。岐阜県中津川市北部の山あいにある加子母(かしも)地区。トマト栽培を始めて二年目の萩原真さん(46)は、手入れが行き届いたビニールハウスで笑った。
昆虫好きが高じて、はちみつを扱う岐阜市の会社に就職。新規事業で受粉用のハチの育成に携わり、トマト栽培に使うマルハナバチを担当した。自宅の庭でトマトを育てて研究するほど打ち込んだが、営業に異動すると毎日が深夜帰宅。過労で体調を崩し、〇七年末に退職した。「自分でトマトを作りたい」という思いも後押しした。
同県農畜産公社の窓口を訪ね、技術の高さを知っていた加子母トマト生産組合での研修を申し込んだ。ハチの専門家だが、農業は初めて。農家の人が話す専門用語が理解できないこともあった。一年間、栽培技術や経営を学んだ後、空き家と農地を借りて約二十アールのハウスを建てた。
収穫のピークの七~九月は「寝る間もないほど」忙しいが、営業時代よりも生活は規則正しくなり、気分は楽になった。子どもたちは地域に見守られ、すくすくと育つ。目標設定の仕方など営業時代の経験が役立つことも。「一生かけて日本一のトマトを作りたい」と意気込む。
三重県桑名市長島町のイチゴ農家上田周平さん(35)は元高校教師。〇八年度末で退職してこの七月、地元にハウス付きの農地十五アールを借りて作付けを始めたばかりだ。
教師は素晴らしい仕事だと今でも思う。だが年々忙しくなり、「家族や友人との付き合いを大切にしたい」と考えるようになった。農業は「自営業の中で工夫の余地が大きそう」と選んだ。県の普及指導員に相談し、収益性などを考えてイチゴに決めた。
地元の農家で一年間研修し、土作りから苗作り、収穫までを学んだ。自分の畑では、教え子たちの力も借りながら、ハウスづくりや定植を進めた。
「野良仕事で暮らす」決意を込め、畑を「のらくら農園」と名付け、日々をブログにつづる。使った農薬などはできる限り公開するつもりだ。自宅の庭にイチゴを売るログハウスを建て、「販売だけではなく、消費者とつながる場にしたい」と夢見る。
◇
全国新規就農相談センター(東京)によると、リーマン・ショック後の雇用不安で、センターと各都道府県にある窓口に寄せられる相談数は急増。〇九年度は約二万六千件だった=グラフ。丸山義昭所長は「最近は農家の後継ぎではない二十、三十代の関心が高い」と若い世代の意識の変化を指摘する。
新規就農者の八割強が農業法人などへの就職。農業法人で技術を学び、独立する人も多い。「農家も事業者。自分で始める場合は、経営感覚と五百万円程度の自己資金があった方が良い」と丸山所長。後継ぎがいない農家に後継者として入る道もある。
センターのホームページでは、初歩的な情報から全国の自治体による支援策まで紹介。センターや各自治体では新規就農の説明会を開いているほか、農業法人で学ぶ就業体験もある。
自治体による定住支援策も利用したい。岐阜県は田舎暮らしを体験できるイベントを開催。移住して農業を営む人から体験談を聞く機会を設けている。
転職・求人情報検索(名古屋市・愛知県・岐阜県・三重県)はトップから