2010/05/22
今の若い人たちって安定志向とか、官公庁志向とかいろいろ言うんだけど、自分は違うんだね。入社したころは、オイルショックで採用がゼロの年もあって。「先輩が少ないから若造でもチャンスが多そうだ」と、そういう物差しで(会社を)選んだ。
アメリカに行ったのは入社3年目。現地でプリンターを販売する話が出て、これはいいチャンスだと。こういう性格だから、日本で上級職になるのを待つのは合わない。大して成功はしなくても経験は積めると考えた。
今でも忘れない、1981年10月31日。ロサンゼルスに赴任して、自分で事務所や車も借りて。英語は得意じゃないから苦労はしたんだけど、最初からプリンターは売れちゃったのよ。無我夢中でやっているうちに月5億円とか10億円の売り上げになった。
当時はオフィスタイプライターが売れていた時代で、同じくらいの数のプリンターが売れちゃったんだよな。運良く市場ニーズにマッチしていたわけで、自分の実力じゃなかったんだけど。
アメリカではマーケット調査から新商品の提案まで、あらゆる面でリーダーシップをとってやった。大きな倉庫をつくって、コールセンターも立ち上げて、情報通信機器のインフラを築いたっていう自負はあるな。
今の日本人は正しいハングリー精神を忘れている。日本全体で「おせっかいは駄目だ」という意識がある。あなたたちは売るだけでいいとか、造っているだけでいいんだとか。こういう内向きの志向は良くないね。
隣の人は何やってるんだろうとか、何で知らないんだろうとか、好奇心を持って勉強したり、酒を飲みながら教えてもらうとかね。互いに理解しようと知識を耕すことは会社の活力につながっていくと思うよ。
特に今の時代は迅速な判断が求められるんだから、四六時中ビジネスのことを考えているんだけど、いろいろ情報収集して、必ず自分で咀嚼(そしゃく)してから決めている。
人の話を聞いて、納得いかないままに判断をすることは基本的にないな。自分の判断とその結果については、はっきり責任を持たなくちゃいけない。
【こいけ・としかず】 早大政経学部卒、79年ブラザー工業入社。ブラザーインターナショナル(USA)社長などを経て、07年6月に社長就任。米国に23年間勤務してプリンターなど情報通信機器の販売ルートを開拓し、その後のグローバル展開の基礎を築いた。愛知県一宮市出身。54歳。
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