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【暮らし】女性活躍ってなんですか/職場や地域、家庭で孤立も

2014/12/01

 「職場に迷惑がかかる」「自分しか担い手がいない」-。家族の介護を理由にした離職のきっかけはさまざま。介護離職者は年間十万人といわれ、家族に介護が必要になって初めて、仕事との両立に悩む女性は少なくない。専門家は「早めの準備で、介護の受け入れ態勢をつくることが離職のリスク低減につながる」と指摘する。

 「おいしい? きょうは行楽弁当みたいだね」。横浜市内の病院で、同市のパート飴矢敦子さん(49)が、要介護5の認知症の母親(79)と向き合い、昼食の炊き込みご飯を口元へ運んでいた。食事の後は病院の敷地内をゆったり散歩。季節の移ろいを感じながら、母親と過ごす濃密な時間だ。


 飴矢さんは週三日、事務の仕事に専念する一方、仕事が休みの日に、母親の面会に通う。仕事がある日は父親(83)が担当。会社員の兄(52)の協力もあり、昨年五月の入院以降、家族の支援態勢がうまく回るようになった。


 それまでは「老老介護」の両親を、近くに住む飴矢さんが支えていた。仕事帰りに実家に寄ってトイレ介助や薬の服用を確認。休日は何度も顔を出した。昼夜逆転や幻視などの症状が出始めた二〇一一年秋には二度目の長期休暇を取り、職場に迷惑がかかると自分から退職。幸いにも三カ月後には再就職先となる今の職場が見つかった。


 兄とは介護の分担をめぐって衝突もしばしば。正確な診断がつかず、家族が対応に戸惑う中、「私一人に重荷を背負わすのか」と叫んだことも。そんな日々を乗り越えられたのも「社会とつながる仕事の時間があったから。それで一個人を保つことができました」と飴矢さんは振り返る。


      ◇


 愛知県豊田市の女性(49)は、正社員として十五年勤めた会社を八月に辞めた。朝七時から夜九時まで働く長時間労働に、認知症の母親(84)の介護が加わったのは四年ほど前。次第に症状が進み、母親の通院などで遅刻が増え、配置転換を申し出た。ところが異動先の職場も仕事は忙しく、上司のパワハラに遭った。


 女性が二十代のときに離婚した母親は苦労続き。一人娘の女性は「私が面倒をみなきゃ」という責任感から、常に母親の介護が頭から離れなかった。時間に余裕がない生活で不眠や動悸(どうき)が激しくなり、うつ症状に。「会社のため、自分を犠牲にして働いてきたのに」と思うと、母親にあたってしまうことも増えた。「介護を理由にした柔軟な職場異動や、フレックス勤務が認められれば続けられたのかも」と悔やんだ。


      ◇


 ダイヤ高齢社会研究財団(東京)の調査によると、四十一~五十歳で介護が必要な親がいる割合は約26%。仕事と介護の両立支援に取り組む神奈川県伊勢原市のNPO法人「となりのかいご」代表の川内潤さん(34)は「働き盛りの三十代後半から親の介護を想定した準備が必要」と話し、そのポイントを紹介している=表。


 さらに症状が重くなるにつれて「仕事を辞めた方が親のためになる」と考える人には、「誰のためにもならない。おむつ交換や着替えなどの介護はプロに、家族は愛情表現できる余裕を持って」と呼び掛ける。


 同法人のホームページ(<となりのかいご、仕事と介護両立支援センター>で検索)で両立支援などの情報提供をしている。

 (福沢英里)

認知症の母親(左)にほほえみかける飴矢敦子さん=横浜市内で
認知症の母親(左)にほほえみかける飴矢敦子さん=横浜市内で